1980年に掲載していただいた雑誌のページです。
なんだかとても懐かしくなり載せてみました。造り方はこの時と何一つ変わっていません。笑

あ!オモリは載せていません。^_^

魚喜のいかなご釘煮の歴史

弊店の加工場のある神戸市長田区には駒ヶ林神社があります。ここにいかなご釘煮発祥の地と題されたモニュメントがあります、このモニュメントによりますといかなご漁はこの近辺では平安時代から行われていたそうです。
いつしかこの辺で砂糖、醤油、生姜などを加えて甘辛く煮た料理が発祥した。と記されています。
魚喜創設者の渡辺忠男はこの駒ヶ林にあった料亭の料理人としてその腕を磨き、多くのレパートリーの中の一つとして釘煮の製法を独自に研究し、独立したのち自店である魚屋、板宿の魚喜で販売を始めました。
今でもこの発祥の地で魚喜のいかなご釘煮を製造しております。大変深い縁を感じます。

昭和50年(1975年)頃の当店。都市計画による店舗建替えの前。
いまにして思えばまだ漁獲量は安定していたのか、たまにではありますが店頭販売もしていましたね。間口の狭い当店で、とてもありがたいことに所謂行列が出来てしまい近隣へのご迷惑も考慮し今は店売りは廃止しております。

1980年発行の雑誌「ミセス」の特別版。
この雑誌に紹介して頂いたことがきっかけで全国からのご注文が一気に増えました。今で言う「バズった」。当時は本当に忙しくしていたことが思い起こされます。

開業当時の板宿商店街の様子。
探していますがなかなか当店の画像が見つかりません。左に見えるフジヤさんの左隣にあるのですが。

昭和20年代後半か30年頃。中央付近「魚」と読めます。開店当時?の当店です。
まだ商店街にアーケードが架けられていません。

祖父の時代のノベルティ。
日本手ぬぐいですね。
活魚専門。鯛の浜焼き。味噌漬け。
と印字されています。

いつか復刻して作りたいなと思っています。

いまの魚喜のロゴマークの原型になっています。
祖父は今も使っている包装紙のデザインも手掛けましたが、とても手先の器用な人だったようです。

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